「続・続・最後から二番目の恋」は、久しぶりに終わって欲しくないドラマであり、全く期待を裏切らない期待の期待を遥かに超える秀作中の秀作でした
2025年4月~6月期
台詞や演出、状況、構成など切り取って鑑賞分を書いていたら切りがないので、なんとか要点だけでも記載していきます
それでも長文になりそうです…
先ずはシリーズを通して主演の長倉和平を演じた中井貴一さんと吉野千明を演じた小泉今日子さんです
中井貴一さんは和平を体現、体感している、さらに観手にもそれを伝える演じる力はもう脱帽ですし、筆舌に尽くし難いですし、和平にしか見えませんし、中井貴一さんの名前を忘れてしまいそうなくらい和平でした!
そして小泉今日子さんはバリバリに第一線で働く千明をちゃんと加齢させていましたし、抗っていましたし、ちゃんと千明らしくカッコ悪くもカッコ良く歳を重ねさせてくれました
もちろんこの二人の掛け合い、絡み、関係性がこのドラマの軸ですし、これを軸として芯となって全くブレない(表現しづらいですが、役の中、ドラマの中ではその芯は芯のまま軸はブレまくるんです)
芯はブレないけど、軸はブレるんです
それがこのドラマの大きな魅力になっているんだと思います
伝わりますか?この感覚…
そしてこのドラマの凄いのが、主演の二人以外の出演者の方々も全く無駄がなく、むしろ凄いエッセンス、アクセント、エッジとなってドラマの大きな部分を担っているということです
全てを足し算すると優に100%を超えてしまうんです
なんといっても主演の二人に続いては、長倉万里子を演じた内田有紀さんは圧巻でした
この役どころはむしろ今回の大きなテーマである「歳をとること」から逸脱してなくてはいけなくて、「歳をとる」ではなくそれは「成長すること」なんだと言い換えてくれる役どころでした
そのため万里子だけは歳をとることよりも、違う印象、違う次元で存在しなければいけません
それを内田有紀さんが見事に、演じてくれました 万里子はずっと観ていたい存在でした
そして実は自分が好きな役でこのシリーズの大きな肝、色、糸口になっていたのは鎌倉市長・伊佐山良子を演じていた柴田理恵さんです!
愛すべき存在であり、カッコ良く、可愛く、お茶目な伊佐山を真面目に、市長という立場をブラさない演じ方が楽しみでした
長倉真平を演じた坂口憲二さんは、いい歳の取り方をしている真平を分かりやすく、綺麗に演じられていました
唯一の心残りは今回のシリーズに関してだけ、長倉知美を演じた佐津川愛美さんが大人しかったですね…
知美は実はもっと可愛く、ぶっ飛んだところのある女性で、それに佐津川さんがピッタリだったのでもっと個性を出して、さらに真平との第二の「和平と千明」感を出して欲しかったです
千明の友人の荒木啓子を演じた森口博子さん、水野祥子を演じた渡辺真起子さんと絶妙な千明とこのドラマとの距離感をとった演技力、水谷広行を演じた浅野和之さんの出番は少なくてもワクワクさせてくれる存在感はさすがでした
そして今シリーズから加入した成瀬千次を演じた三浦友和さんと早田律子を演じた石田ひかりさんは、第一シリーズからのファンとしてはドラマの芯がブレないかと疑心暗鬼になっていましたが、千次の亡くなった奥さんからだったり、前シリーズまで登場していた愛されキャラの一ノ瀬さんの娘だったりと綺麗にドラマをかき回してくれて、面白いエッセンスと色を提供してくれました
そしてこのシリーズで大躍進したのが飯島直子さんが演じた水谷典子です
和平の反対側にいる広行との間にいるけど、和平側でも広行側でもないという典子を典子側として飯島直子さんが表現してくれましたし、真平に放った何年か何十年に一度かの芯を食った話は圧巻でした
白本彩名さんが演じた長倉えりなは、このドラマの時間経過と成長を体現してくれる重要な役どころでした
白本さんの成長が、えりなの成長がそのままこのドラマのシリーズとしての成長であり、えりなが公務員の和平と相対することが、アーティストとして、娘としてこのドラマの重要な部分を担っていました
1話ごとにリアルタイム視聴、金曜日の夜中の再放送、TVerと3回は繰り返し観ていました 連ドラ好きで年に何十本と連ドラを観ていても、再視聴に耐えられる、思わず何度も観てしまう作品に出会うことは少ないんです
でもこのドラマは何回でも繰り返し観ることができる、ワクワクしてしまう数少ないドラマでした
さらに2012年冬クール、2012年秋、2014年春クール、2025年春クールとシリーズもの全てを通して、何度もでも観ることができる、生涯でも出会うことが少ない、希少で、貴重で、秀逸なドラマでした
毎週の同じ曜日、同じ時間、同じテレビの前に座ることが楽しみになる魅力的な3か月を提供してくれました
感謝です!!!
「観手」:ドラマを創る・作成する人の「創り手」という言葉に対して、それを観る・鑑賞する人を差す言葉として使っています
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