「海のはじまり」は、最初に躓いてしまい、重さと暗さもあってのめり込めなかった作品でした…
                                      2024年7月~9月期

 「恋人とは」「結婚とは」「出産とは」「親になるとは」「家族とは」を改めて問いかける、そして一緒に考えていく流れの連ドラ作品に感じました
 「考察」ではなく「再考」「熟考」させる新しい枠のドラマとして希有な存在感を持っていたことに間違いはありませんでした

 しかしこの歪な日常を設定するのに仕方がなかったのかもしれませんが、重要な登場人物、主人公と言って良い古川琴音さんが演じた南雲水季の初発行動を始めとして要所々の言動に、どうしても共感が出来ず作品に入り込めませんでした

 中絶の是非は置いておいて、中絶することを目黒蓮さんが演じた月岡夏と二人で決めて、その後に一人で出産を決意したことを夏には言わず、一方的に他に好きな人が出来たと言って別れを告げ、一人で産んで育てる決意をする…
 それならばどんなことがあっても隠し通すべきではないでしょうか?
 もちろんそうしたらこのドラマ自体が始まらないのですが、この状況で産んだ子供に、泉谷星奈さんが演じた南雲海に匂わせるような言動は必要ないし、子供を夏のアパートまで連れて行くとかありえないと感じます
 水季が残した夏の恋人(結果的に有村架純さんが演じた百瀬弥生)への手紙の内容も、死んで居なくなった人が今の人に食い込みすぎると感じました

 もし自分の余命が短いと知り、残す海が心配で夏に頼りたいと思ったのならば、自分が健在のうちに夏に海を連れて会って話をするべきなんじゃないでしょうか?

 常識的すぎますか?

 しかしそこからもっと不思議な世界が広がります…
 自分に子供が居ると知った夏が大竹しのぶさんが演じた南雲朱音の元を訪ねたときに、朱音があそこまで夏を攻めるのも理不尽な世界でした
 朱音が水季を責めるなら分かるんですが、何も知らない夏をそこまで攻める、罵倒する意味が分かりません

 さらに海は何故そこまで夏を受け入れ、懐くんでしょうか?
 DNAの繋がりがそうさせるんでしょうか?
 生まれたときから夏の話をされていて好きだったから!
 はっ!?
 水季はなんと言って海に夏の存在を話していたんでしょうか?

 作品の根底となる水季の常軌を逸した言動がこのドラマに捻れを生じさせ、その重さと暗さと相まって入り込みず、乗り切れませんでした…

 もちろんその不思議な振り幅があったから、夏と朱音の和解や夏と海との微妙な関係性の成長などを観させることが出来る、出来たんだと思いますが、その根底の設定に常識人としては躓いてしましました

 水季はかなり異常人格のように感じましたが、最後の最後までずっと肯定され続けられるのに違和感が拭えませんでした

 古川琴音さんは今、一番注目している大好きな大応援している俳優さんなんです
 この水季は古川さんにしか出来ないと感じましたし、この役へのフィット感はさすがでした
 常軌を逸した水季だけど目を背けず最後まで観られたのは古川さんの魅力に他なりません

 さらに常軌を逸した設定、展開が続く中で、南雲翔平を演じた利重剛さんの演技方と存在感はもの凄く大切な、大きな役割をこのドラマの中で担っていたと感じました

「観手」:ドラマを創る・作成する人の「創り手」という言葉に対して、それを観る・鑑賞する人を差す言葉として使っています

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むろ さん
プロフィール

「ダンス」と「s**t kingz」と「iri」と「連ドラ」好きの「言葉の力」を信じる踊る博士(Dancing Phd.)のブログ集です

主に「連ドラ鑑賞文」を1クール(3ヶ月)毎に書いていきます
その他にも長文でTwitterに書ききれないことも書いていきます