「厨房のありす」は、いろんな面で中途半端だったかなぁ…
2024年1月~3月期
自閉スペクトラム症という疾患との向き合い方、家族ドラマとして、恋愛ドラマとして、サスペンスとして、ミステリーとしても要素を取り込みすぎてしまい全てが中途半端に感じました
最初は自閉スペクトラム症(ASD)としっかりと向き合いつつ、家族、親友、友達そして恋人を自閉スペクトラム症を軸にしっかりと進んで行く家族とは?恋人とは?のストーリーだと思っていました
しかし途中から自閉スペクトラム症の核は置いてけぼりで、真相を解明していく、犯人捜しへと方向転換されていきます
なんか途中から主軸は門脇麦さんが演じた八重森ありすから永瀬廉さんが演じた酒江俊生にシフトチェンジしたように感じました
その分自閉スペクトラム症と向き合うこともなおざりになり、薄っぺらい真相解明や犯人捜しになった時点で格段にドラマが面白くなくなりました
門脇麦さんがさりげなく自閉スペクトラム症を自然に演じられていたので、ちょっともったいなかったです
八重森心護を演じた大森南朋さんが暖かい感情論には良い立ち位置にいたのに、暗い感情論側に廻ってしまったのが残念でしたし、大友花恋さんが演じた松浦百花がありすに真っ向から反発していき、これからの二人の関係性が本当の自閉スペクトラム症と向き合う切っ掛けになるかと期待もしていましたが、犯人捜しに廻ってしまいました…
事故か放火殺人かの核の部分も、最後は萩原聖人さんが演じた五條誠士が全てを一人で罪を被る結末はちょっと「?」となってあっけなさ過ぎました…
そしてさらに最後のパーティー会場で酒江倖生を演じた永瀬廉さんが五條誠士に掴みかかるシーンでのセリフの棒読み感が、ちょっとクライマックスを冷めさせていました…
個人的には自閉スペクトラム症と真っ向から向き合う「ホームドラマ」に仕上がっていくのが見たかったです
「観手」:ドラマを創る・作成する人の「創り手」という言葉に対して、それを観る・鑑賞する人を差す言葉として使っています
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